激しいヤジと差別用語が飛び交う中で

当時の練習場

2012年の夏、球団を解雇されて、居場所を失った私はアメリカ人の野球仲間の厚意で、テキサス州オースティンにいた。いつまでここに身を置かせてもらえるか分からなかったが、前へ進むしか選択肢はなかった。そして、その街の野球関係者の厚意で、地域の若者が集うサマーリーグの試合に参加させてもらっていた。ある日の試合、あまり外国人に対して免疫のない街だったのか、その試合はヤジが飛び交い荒れていた。その中で唯一のアジア人である私は、やんちゃな若者がヤジを飛ばすのに格好の標的になっていた。

しかし、その時の私は不思議と落ち着いていたのを覚えている。私は、「今この環境が何を意味しているのか」を考え、野球ができる環境に感謝し、グランド、審判、相手選手への敬意をはらうことを、いつも以上に集中して行った。私が打席に入っていた時、突然、数人の相手ベンチにいた選手が退場になった。理由は、私への差別用語を発したためらしい。私は、打席に集中していたので聞こえなかったが、あまりの暴言に審判が退場にしたそうだ。学生の試合だというのに、ケンカのような雰囲気になっていった。不思議と私の集中力は増し、直後の打席で私はきれいにセンターへヒットを放った。私にとっては、環境や空気に流されない収穫のあるヒットになった。

チームメイトや審判の見方が変わった

チームメイトと一緒に

このできごとをきっかけにチームメイト、審判の私に対する見方が変わった。これまで、試合の時だけ現れて、大したコミュニケーションも取らずに、試合をして帰るだけの存在だった私に興味を持つ選手が多くなったのだ。「なぜお辞儀をするのか」「日本ではみんなそうするのか」等の、質問を多くされるようになった。数日後、チーム最年長の選手がきて「お前の行動が、チームを一つにしてるよ。みんな興味を持って、学ばせてもらってる。ありがとう」と、この上ないお褒めの言葉を頂いた。私は改めて「野球が持つ無限の可能性」を実感し、何より言葉なくしてチームメイトと深いコミュニケーションをとれたことが大きな収穫だった。

ただ必死に野球をやることしか知らなかった私に、アメリカ野球は「野球を楽しむ」「野球は楽しい」ということを教えてくれた。そして、日本で得た礼儀作法が、アメリカ人選手の心をつかみ、アメリカ人コミュニティに溶け込むきっかけを与えてくれた。日本で野球をしているだけでは得られなかった体験を通して、双方の国の野球の素晴らしさに気付くことが出来た。勝つから楽しい、勝たなければならないのは競技スポーツである以上宿命なのかもしれないが、アメリカにきて「楽しいから勝てる」という新たな感覚を手に入れた瞬間だった。

数日後、私は新たな出来事、出会いを求め、プロ野球団の試合がある街を転戦することを決意した。各球団にメールを送り、アポは取れなかったが、当時の私は何事も楽しみに変える自信があった。

Respectfully,

TOMA